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モスモス−もう一人の自分を楽しめる場所−5話

ライター:空色のカンガルー


これ以降も私は投稿を続けました。以下、各号ごとに出品と掲載の状況を列挙します。

*10号*
この号では「ピカゲラ」のみ応募しました。
例によって筆と墨を使い、水墨画調で、微生物系の「ピカゲラ」を描いてみました。
1点応募1点掲載で、掲載率はこの回が一番です。
座談会で一緒だった栗かのこさんも掲載されています。

*11号*
この回では「村田の紙」という、村田帽子店の包装紙を考えるコーナーにのみ応募しました。
和紙に墨と朱墨で何通りか書いて送った中の1点が掲載されました。
もうこの辺では私の「和紙に墨」路線がすっかり定着していました。
この号では、有名投稿家が写真入りで占いをしてもらっており、
呼んで欲しかったなぁ〜と指をくわえながら見ていたように記憶しています。

*12号*
この年春に地元へ帰り、就職しました。
この号では、編集部からの手紙によればいろいろなコーナーに投稿したらしいのですが、記憶がありません。
「お名付け内祝」の周囲の”飾り”の部分に小さく掲載されただけでした。

*13号*
私が本名からペンネームを名乗ることとなったきっかけになったのがこの号でした。
まず、この号ではすべてのコーナーに応募しました。10作品くらい送ったと思います。
その後、「残念ながら採用されませんでした。」の手紙が届き、いささか落胆したのですが、
何といきなり13号が届き、開けてみると、「下敷画集」に掲載されていました。
ほんの思いつきだったのですが、掲載されてみると、我ながらなかなかの出来じゃないか、などと一人ほくそ笑んでおりました。

ところが、です。
何と、職場の人たちにばれてしまったのです。
モスモスに投稿していることは、大学時代の友人達から会うたびごとに言われていたので何でもなかったのですが、
職場ではそうはいきません。モスモスの実物を持ってこられて、見せびらかされる始末。

もう、困ってしまいました。で、ペンネームを使うことにしたのです。
当時はまだネットと縁のない生活をしていたので、もちろんH.N.などなく、
同僚の方の「だからだめなんだ」という口癖が面白くて
 「こんなところに投稿して楽しんでいるなぁ。だからだめなんだ。」と、
自嘲の意味も込めて名乗ることにしました。

このことがその後どんな事態を引き起こすのか、その時は知る由もありませんでした。

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