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モフオフのあとしまつ−10話

ライター:ブロイラー


空色のカンガルーさんが帰られた後も、「シゲチャンTシャツを作って欲しい」とか
「シゲチャンフォントも」とか勝手な話に花が咲いた。

91年の1月にモスバーガーで配っていた日記帳の中にあった、
オブジェの写真が大西作品の原体験なんです、という話をした。
ただこの日記帳は今は行方不明になってしまっている。
そういうと、大西さんは「91年の日記帳ね」と紙にメモされた。
そうこうしているうちに日は傾き、辺りの山々も夕焼けの色に照らされ始めてきた。
この日はランドの最終日。
大西さんは入ってすぐの駐車場の前に出していた「シゲチャンランド」の看板を片付けた。
これで来年の春までランドは冬眠状態に入る。

記念に大西さんと並んで写真を撮らせていただいた。シャッターを押したのはリュヌさん。
写真を撮られ慣れていないブロイラーの顔がどことなくぎこちないのに対して、
大西さんはニカッっと実に100点満点の笑顔をしてくれた。
「次は再来年(2006年)の夏に大西さんの還暦祝いだね。」と∋(◎v◎)さんがいい、
「それはもう決定事項で」と無理矢理再会を約束した。

帰りはねこんさんの車に乗せていただくことになった。
本当に何から何までお世話になり通しだ。緑色のワゴンに乗り込み、ランドをあとにする。
大西さん夫妻はいつまでも手を振ってくれていた。

これから北海道に厳しい冬が訪れ、ランドも雪に埋もれる。
山に囲まれた国道240号線を見ながら、雪のランドを想像してみた。

阿寒まで送っていただいて、宿に帰った。
畳と机だけの殺風景な部屋に戻ると、急に現実に引き戻された気がした。
荷物を放り投げ、畳に寝転び電灯を見詰めながら考えた。
さっきまでの夢の中のような時間はどこにいってしまったのだろう。
旅が終わり、大阪に帰ればまたどこまでも平坦な日常が続いていくのだ。
すべてが幻だったような気さえしてきた。
天井を見ながらそう思うと、ほろりと涙がこぼれて顔をつたった。


次の日、ブロイラーはバスで釧路に向かった。
ただただ一直線の道を乗客の少ないバスは走り、
窓の外では広大な大地の中で牛や枯れ草やツルが映っては消えた。
釧路の街をぶらぶらと巡った後、飛行機で大阪に帰ってきた。


モフオフにはまだいくつかの後日談がある。
大西さんからブロイラー宛てに荷物が届いた。
開けてみると中には、欲しかった91年のモスの日記帳が入っていた。
その中には毛筆で書かれた大西さん直筆の手紙も入っていた。

 「ブロイラー様

  おかげさまで、ランドの最終日は
  例年にない楽しさでした。
  大阪からは本当に遠いところです
  けれど、この距離が、又良いのかも
  しれません。
  冬のHP少し充実させますので
  お楽しみに。
  では又、いつの日か逢える
  ことを願って。
  ありがとうございました。

  2004.11.1 シゲチャンランド 大西重成

  P.S. いそいでランドを
  立ち去る空色のカンガルー
  さんのジャケットには・・・

  Mのマークが
  白抜きで・・・

  気がついたでしょうか?」

空色のカンガルーさんはモンベルのウィンドブレーカーを着ておられて、
背中のマークは「montbell」のMだったのだが、これがモスバーガーの「M」のマークに
似ているに気がつかれたのだった。空色さんの後ろ姿を描いたイラストつきだった。

さらに、北海道新聞社北見支社様が発行している情報誌「みんと」に連載されている
シゲチャン日誌にモフオフのことが掲載された(2004年11月)。
http://www9.plala.or.jp/wl-garden/shigechanland/mintdiary/diaryframe.html

掲載された誌面は∋(◎v◎)さんがカラーコピーを送ってくださった。

偶然を結びつけた不思議はまだ続いているようだった。

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