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最終話「終わりよければすべて良し」

ライター:南無


 「モスモスは次号をもって休刊となります。だから送辞を書いて」

という通知が編集部から届いたのは、高3の秋のことだった。

大学入試で手一杯だったのか、私の感情の起伏が乏しいのか、
いずれにしても私の受けた衝撃は軽いもので、
「あぁ、終わるのか・・・」という淡々としたものだった。

で、送辞を書くことにしたが、何をどう書いたらよいものやら私は悩んだ。
 「なぜ終わるんだ!(怒)」とか「終わるなんて悲しいです(涙)」とか書いても、
それは私の正直な気持ちを反映していないし、
何より「ありきたりのモノを書くのは、南無らしくない」という気持ちになった。

今まで作ってきた「南無」のイメージを、最後になって変えてしまったら
なんとも言えない違和感を残して終わってしまうのではないか・・・
そう考えた私は逃げた。

逃げたといっても、回答を拒否したわけでなく、一応コメントは書いた。
「自転車が盗まれた」という話だ。
以前のコラムで書いたように、確かにMVP取材時に使っていた自転車だったわけだが、
それを意識して書いたつもりではなかった。
出来るだけモスモスと関係の無い話を書いてやろうというつもりでそれを書いた。

  (今にして思えば、サーカス掲載の『チョーさんを慰めよう』の作品もそうだが、
   「お題に応えない」というのはある種、南無の作風だったのかもしれない。)

ただ、本当に脈略のない話だけを送ると、編集部の人からクレームがくるかもしれないと
考え(小心者なので)、言い訳は一緒に書いておいた。「面倒なので略」のくだりだ。
私としてはあの文は編集部の人に読んでもらえればよく、掲載されるつもりはなかった。

それから数ヵ月後、最終号が届けられた。
送辞のコーナーでは、誌上に名だたる面々が
思い思いに「モスモスへの別れの言葉」を書いていた。
そんな中で、私だけが自転車盗難話である。

この連載コラムの第一回で、「私はモスモスで誰かと競っているつもりは無かった」と書いた。
全体を通して言えばこの言葉に嘘は無いのだが、
この時だけは「俺だけ違うことしてる!」という何とも言えない優越感を感じた。
というわけで、モスモスに掲載された私の作品の中で、
この送辞が最高傑作だと思っている。


・・・最後に、モスモス後の私について軽く触れておきましょう。
別にアーティスト志望だったわけでもないので、
今は何か作品を作って発表したり、とかいったことはまったくしていません。

ただ常に人と違う方向を向いていたい、という気持ちは持ち続けています。
それがモスモスによって形作られたものなのか、もともとそういう性格だったのが
モスモスによって増幅されたものなのかは定かではありませんが。 (了)

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