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5話「私と南無」

ライター:南無


南無は私であり、私ではない。

なんか哲学的な言い回しになってしまいました。
別に自分が二重人格者だとか言うのではありません。
南無という存在は、日常生活における(本名の)私という人間とは
必ずしもイコールではないということです。

 (最初から最後まで私はモスモスで名前を明かすことはしませんでした。
  その理由は以下に書きます。ただ、モスモスサーカスには私の本名がしっかり載ってしまってます・・・
  ヲイヲイ認めた覚えはないゾ)

「南無」というのは中学時代に先輩が名づけた私のアダ名です。
その先輩が街で托鉢僧を見かけ、その僧衣に「南無」と書いてあったのが印象に残ったらしく、
次の日会った私に「ヨシ、お前『南無』な。」といった感じで命名されたものです。

ただしこの名前、私や命名した先輩も含めてほとんど浸透しませんでした。
その寿命は1週間ほどだったでしょうか。
ちょうど同時期、モスモスのある号の作品募集期間でした。
それまでさまざまなPNを使ってきた私は、
このときはじめてその「南無」というのをPNにしてみました。

その後は南無という名前で投稿し続けました。
理由は前述したように、「南無」という名前が浸透しなかったからです。
私はモスモスをあくまでも個人的な楽しみとして考えていました。
モスモスに自分が投稿していることを周囲の友人たちに話したことはありませんでしたし、
作品が掲載されたのを見せびらかすようなこともしませんでした。
仮に周囲の人がモスモスを見たとしても、南無という人物と私を結びつけることはない、
そういうつもりで私は本名を明かさず、南無を名乗り続けました。

だからMVPを受賞した私が誌面を飾ったときは困りました。

 (あまり世間でのモスモスの認知度をわかっていなくて、
  周りの人は知るまいと思って取材を受けたのですが)

結構な人数から「何、アレ?」とツッコまれました。
自分ひとりで楽しんでたつもりだったのに、こんなにいろんな人がモスモスを見てるとは・・・
正直、あの時期はモスモスへの投稿をやめようかと思ったくらいです。
それでも騒ぎ(質問攻め)は1週間くらいで収まったので、 結局投稿は続きました。

昔も今も考えは変わっていませんが、
私にとっては「モスモス=シュール」です。
シュールさこそがモスモスの魅力なんだと思っています。
自分にシュール好きな感性があったからこそ、
私はモスモスに惹かれ、投稿を続けたわけです。
世間一般ではシュールなものというのは必ずしも王道ではない気がしますが、
 (私の勝手な思い込みでしょうか?)
それはそれで良いんだと思います。
 「周りの知らないところで自分だけがこっそりと楽しむ一種の優越感」
それが私にとってのモスモスでした。
南無というのはそういった願望(欲求)を具体化するための存在だったと
いうことです。

だが私の密かな楽しみにも終わりがやってきた・・・
というわけで次回最終回(予定)モスモス休刊についての話です。

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