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物言わぬ雄弁者の群れ〜シゲチャンランド〜(5)

ライター:ねこん


雨空を「口ハウス」 のてっぺんが突き破ろうとした。
穴の開いた空の貯水タンクはひとしきり強く振ったあと、 徐々に弱ってくる…
久しぶりの雨だったのか石も雑草も、そして真紅の砦達も入浴後のように深呼吸。
その間を子どもらがキリコの絵に出てくる人物のように時折見え隠れ…。

この極楽美術館の時の流れはギャラリーや寺院仏閣とは異なる…。
我々を日夜管理する時計とは違うものが存在しているのか、
空間が時間を自在に管理しているかのような空気感。
この感覚はどこからくるのか?

ここが「シゲチャンランド」に転生する前は離農した酪農家の廃墟である。
その外見的規模からして1960〜80程の間に本来の役を担っていたことでしょう。
(なぜなら、ねこんの生家は酪農。だから懐かし感がある?)

「鼻ハウス」の中には白黒の牛がひしめき、カチカチとミルカーのコンプレッサーの音。
時折聞こえる集乳缶のぶつかり合う音。
2階には干草が詰め込まれていて内部で通じる「手ハウス」に投入されて,給餌される。

「口ハウス(旧サイロ)」の前では初秋頃に刈りとられた飼料用の作物を
けたたましい発動機の音と共に破砕機で内部に詰め込む。

「頭ハウス」では子どもたちが家具調テレビで
何処かの賑やかな世界に夢を馳せていた頃、
「家」達は、無言で家人と時間を共有して日夜、
家人の家族と財産を守り、家人を送り出し、迎えてきました。
やがて、家人等は事情により、「家」に帰らなくなり、
いつもここにいた牛達も戻らなくなりました。

「家」は暫くの間、時間を共にする相手を待ち続けながら
何時しか少しづつ自分の時間を静かに歩み始め、
「廃墟」と呼ばれて北の夢の挫折の象徴のように見過ごされました。
全てが変わって、変わらなかったのは、春の芽吹き、夏の虫の音、
秋に舞い散る枯葉の乱舞、冬のしんしんと降り積もる雪…。
幾年経ったのかそんなある日、シゲチャンがここにやってきてニッと笑いました。
それから「家」達は個々に名前をもらい、ランドの奴等を内包する住人のひとりになりました。

もう彼は「物件」ではなく最も巨大な住人となった。
我々はその胎内に有って彼自身が体現した時の記憶を感じているのです。

「頭ハウス」の中にシゲチャンがここに来た頃の写真を見ることができる。
まさに「廃墟」の頃のものです。見ていると思うのです。
「立派になったなぁ…」なんてね。
リサイクルとかリメイクとかリフォームなんて言葉はここにはなく、
全てが誕生(バース)です。
ただこの住人達は人の記憶をまとっているので瞬時に人の心に入ってくる。
そして、このおしゃべり達は話しかけてくる。

「こんなこと覚えてる?」
「あの時はこうだったよね」
「いまでも感じているかい?」

その話しかけに人は笑い、また泣き、何かを思い出し、
喧騒の中で感じ損ねてきた何かに触れる…
演出された空間の中ではない何かを…。

…「目ハウス」では、住人と子供がなにやら話し合っている。
「お前、頭でっかいなーオレもでっかいけど…」
いくら何でも不服そうなのは、あのチドリア氏。

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